『清貧の思想』という本を読んだ。いや、サラっと流し読みした。序盤〜中盤は昔の「富を求めず、清く生きた人々」の解説で、自分には読み込むのがチョット辛かったのだ。

ただ、終盤にはとても大事だと思えることが書いてあって、それだけでもこの本を読んで良かったと思った。

自分が常々感じている、「これでいいのか?」感に対するひとつの答えともなろう内容だ。ということで、それを読んで頭に浮かんだことをつらつらと書いてみる。

現代において、人々は「消費者」となり、新しい商品を求め続ける。求め続けるということは古いものはどんどん捨てられることになり、まだ使えるものもすぐ捨てられる時代になった。これは誰しもが感じるところであろう。

その消費者としてのサイクルは経済的には大いに正しく、経済成長を増進させる。ただ、見方を変えれば「消費者としての飽くなき欲望」を満たそうとしているがために長時間労働をする必要が出てきて、それに応じて生活の質自体が落ちているのではないか?という点だ。

生活をより良くしようとするのは、もちろん悪いことではないだろう。しかし、現代は他の人の生活を垣間見ることが大幅に増えた。例えばTwitterでタイムラインを眺めているだけで、自分より凄い人たちが自分より凄い生活をしている。これが見えることによって、欲望は刺激され、そこを目指そうとする。

それは自分自身のブラッシュアップという面ではとても有益だ。一方で、「どれだけ頑張っても満たされない感」も生むことになる。

この飽くなき欲望があるがゆえに「精神的な生活の質」が落ちるのであれば、清貧という生き方にも目を向ける必要があるのではなかろうか。

ちょっと興味深い事として、経済的な成功者の中にも清貧に近い生活をしようとする人は結構存在しているようだ。普段の生活で大きな贅沢はせず、断捨離で不要なものを処分し、気が散る要素を極力減らす。そして、「体験」に対しては投資を惜しまない。

手元にモノが残らないお金の使い方は、一部の人には「浪費」と映るかもしれない。

ただ本当は、金銭をかけるかけないに関わらず、生きていく上で素晴らしい体験を重ねていき、生活は質素で足るを知り、かつ身軽に動けるようにしておくのが一番贅沢な生き方なのではないか?という気がしている。

この本に書かれている偉い人たちは、単純に清く貧しかっただけではなく、お金をかけずに素晴らしい体験を得る術を知っていたのだろう。きっと。

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